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新アドレス

 投稿者:管理人  投稿日:2017年 2月11日(土)21時44分17秒
  皆様へ

ご迷惑をお掛け致しましたが、やっと新アドレスが出来ましたのでお知らせいたします。

    http://sisekia.kitahistory.net
今後とも、よろしくお願い致します。

http://sisekia.kitahistory.net

 
 

お尋ねします

 投稿者:caramelpapa  投稿日:2017年 2月 3日(金)17時33分15秒
  北九州まちかど探検の
新しい頁がわかりません
教えてください
 

八幡市尾倉福寿町(切取跡)

 投稿者:caramelpapa  投稿日:2017年 1月26日(木)15時44分57秒
  図書館で
戦前の八幡市広報を見ていたら
後ろの広告に面白いものを発見

割烹の新築落成御挨拶なのですが
住所が八幡市尾倉福寿町(切取跡)

これって
九州電氣軌道の
立体交差あとのこと?!

尾倉福寿町を調べると
地図では見つかりません

角川の地名大辞典によれば
昭和初期から三十年代までの通称地名で
製鐵南門近く
今の西本町一丁目のうちとのこと

では一体何なのだろう?

小伊藤山を切り取った跡?


切取跡
何なのか
ご存知でしたら
お教えください
 

曽根火薬庫

 投稿者:管理人  投稿日:2016年12月24日(土)19時40分30秒
  本の正式名称は、「定点 北九州の近過去風俗史序説」で、市内の図書館にはありますので、検索をかけてお近くの図書館で借りてください。  

曽根火薬庫について

 投稿者:sonekayaku  投稿日:2016年12月23日(金)21時40分51秒
  はじめて投稿させて頂きます。

今回投稿させて頂いたことはかつて小倉南区にあった曽根火薬庫についてです。

前にこの掲示板で曽根火薬庫については小倉タイムス発刊の「定点」という本に詳しく書いているとあったのでネットで調べても見つかりませんでした。
どこかの図書館にあるのかそれとも小倉タイムスに連絡して購入するのか教えてください。
地元に住んでいるため気になっております。よろしくお願いします。
 

八幡西区皇后崎の高射砲陣地跡

 投稿者:野上公嗣  投稿日:2016年 7月11日(月)09時16分54秒
編集済
  久しぶりに投稿させていただきます。

八幡西区の皇后崎公園内にある「私立青山市民センター」から、遊歩道を少し南に歩きますと、右側に、藪に隠れるようにして、コンクリート製の遺構があります。

国土交通省の「空中写真閲覧システム」で、1948年当時の同地域を見たところ、現在の国道3号線「青山1丁目」交差点から南側の小高い場所に、円形の基礎が6基、弓状に配置されているのを確認できました。

その後ネットで調べましたら、「高射砲第4師団第防空23連隊」に所属した「皇后崎高射砲陣地」の跡であることがわかりました。
当時は、国道3号線の南側から、現在の皇后崎公園の南端までが、陣地だったようです。

以下に資料をリンクします。

【九州・下関の高射砲陣地 高射砲第4師団】
http://www17.big.or.jp/~father/aab/4thAAD/4thAAD.html

【1948年米軍撮影による、八幡西区航空写真】
http://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=42051&isDetail=true

写真中央より少し上を、国道3号線が白く横切っています。その中央に、ゆるくS字を描いた部分があります。
この部分を拡大すると、その南側の小高い部分に、6門の高射砲の基礎を見ることができます。

熊西中学校は未だ存在せず、八幡西警察署前から穴生方向に伸びる道も、まだ整備されていません。

以上、お知らせいたします。
 

皿倉山

 投稿者:  投稿日:2016年 4月17日(日)00時44分43秒
  帆柱山と皿倉山の記事のとこに八幡東区の小中学校の校歌は、帆柱山はあっても、皿倉山はないとありますが、統廃合で無くなりましたが、天神小学校の校歌は、皿倉山でした。
ちなみに、統廃合し、皿倉小となり、校歌には、帆柱と皿倉の両方が歌われるようです。
やはり、ないと言われると寂しいもんです。
あの辺は変わってしまいましたから、校歌や皿倉山が思い出です。
 

あの島

 投稿者:father  投稿日:2015年 7月27日(月)19時51分9秒
  ご返答いただきましてありがとうございます。

漁協の所有、ということには驚きました。
そうなると、対の島も同様ということですね。

グループで行かないと色々と大変ですが、
いつの日か機会を見つけてチャレンジしてみたいです。

ありがとうございました。
 

あの島

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 7月27日(月)09時28分54秒
  father 様

①島は、二つの漁協が所有していますので、各々へ上陸許可を取る必要があります。ついては、許可を取る際にチャーターの話をすればと思っていますが。

②馬島の件、軍施設があることは聞いてましたが、まだ実見していないため、回答できません。

③灘山の件、ご教示頂きありがとうございました。
 

あの島

 投稿者:father  投稿日:2015年 7月23日(木)23時41分7秒
  はじめまして。

2つほど、質問よろしいでしょうか。

(1)7cmカノン砲のある島の記録がありますが、
漁船をチャーターすれば上陸可能なものなのでしょうか。
それとも、島の東側の施設の管理者に許可をもらわないと駄目なのでしょうか。

(2)それから、馬島(小六連)の西端に、火薬庫のような構造物があるのですが、
軍の記録には該当するものがありません。ご存知でしたら教えていただけないでしょうか。

(3)灘山の砲台とある施設(鍵穴みたな穴)は、陸軍の電波標定機(対空射撃用レーダー)のものです。タ号3型かと思われます。送信と受信の2個1組になっています。同様なものは藍島の北部(火葬場の近くに1ヵ所、残りは未発見)にもあり、また夏井ヶ浜の近くの山の中(こちらは未探索ですが)にも残っているはずです。逆水のものは畑になっていました。
 

re:皿倉山について

 投稿者:モト  投稿日:2015年 4月 4日(土)21時24分1秒
  北九州市まちかど探検 の管理人様

早速のRES有難うございます。

>私も、数年前から講演やマスコミ取材でこの取り違いを訴えていたところ、帆柱ケーブルがこの4月1日から皿倉ケーブルに名称変更になりました。

そうですね、我々地元の人は「帆柱ケーブル」でも問題無いでしょうが、
他県などから訪れた人が初めて皿倉山にケーブルカーで登りたい場合は、
「帆柱ケーブルカー」では戸惑うかも知れませんから、
やはり皿倉山に登るケーブルカーであれば、「皿倉山ケーブルカー」の方が
解かりやすいと思います。

リンクの件、ご了解頂きまして有難うございました。
こちらこそ、今後とも宜しくお願い致します。

http://www14.plala.or.jp/ja6dbs/

 

皿倉山について

 投稿者:管理人  投稿日:2015年 4月 4日(土)19時29分41秒
  モト 様

書き込みありがとうございました。
私も、数年前から講演やマスコミ取材でこの取り違いを訴えていたところ、帆柱ケーブルがこの4月1日から皿倉ケーブルに名称変更になりました。
うれしい、限りです。
リンクの件、了解いたしました。
今後とも、よろしくお願いいたします。
 

皿倉山について

 投稿者:モト  投稿日:2015年 4月 4日(土)17時23分33秒
編集済
  北九州市まちかど探検 の管理人様

 はじめまして、上記ホームページを拝見させて頂きました。

 私は、旧八幡市生まれの八幡市育ち ですが、
私が子供の頃、今で言う「皿倉山」のことを、誰もが「帆柱山」と言って
いたようです。

 当時の八幡は、各工場からの排煙で、殆ど毎日、空が灰色やオレンジ色に
覆われておりまして(当時は、この煙が八幡市民の誇りでありましたが)、
ごく稀に雨上がり時や強風時に見えた「皿倉山」を
「おーっ!、今日は帆柱山が見えとるバイ」と、皆言ったものでした。

 そして、いつしか「帆柱山」が「皿倉山」と呼ばれる様になりましたが、
何故その呼称が変わったのか、不明でした。

 ところが、最近になりまして、御「北九州まちかど探検」のサイトに出会い、
その記事を拝見し、なるほどそうだったのか、
「皿倉山」が正しい呼び方なのに、誤って各種印刷物に「帆柱山」と記載された
がために、市歌や校歌(私が通った小・中学校歌も「帆柱山」となってましたが)
にも皿倉山で無くて「帆柱山」と呼ばれる様になったとの事が理解できまして、
まさに「目から鱗」の思いで、拝見致しました。

 本当に参考になりました。 ありがとうございました。

 なお、誠に勝手ながら、私設ホームページ「森林浴ウォーキングとサイクリング」
http://www14.plala.or.jp/ja6dbs/
の中の「森林浴ウォーキング」→「皿倉山」のページ
http://www14.plala.or.jp/ja6dbs/shinrin/sarakura/sarakura.html
で御サイトへのリンクを貼らせて頂いております。

この事、ご快諾頂ければ幸いですが、
もし、不都合等が御座いましたら、ご連絡頂ければ、即対処致します。

 なお、小中学校時代、運動会などで歌った「八幡市歌」の曲を思い出しながら
その曲を同ページにアップしております。
宜しければ、お聞き下されば幸いです。

http://www14.plala.or.jp/ja6dbs/

 

到津炭鉱について

 投稿者:smokingman  投稿日:2015年 2月16日(月)16時31分21秒
  到津炭鉱の所在地は小倉北区「中央緑地公園」です。
その根拠は、新聞記事で「五市合併の際に市庁舎を中央緑地公園に建設する予定だったが、旧到津炭鉱の坑道が地下に有ることが判明したため勝山公園に建設することになった」とありました。
その後、中央緑地公園は昭和42年に整備された。
周辺の公共施設の竣工年度。
北九州市交通公園、昭和47年竣工。
北九州市総合体育館、昭和48年竣工。
北九州パレス、昭和57年竣工。

石炭の炭層は北東方向の海底に向かっていたようです。
 

到津炭鉱について

 投稿者:smokingman  投稿日:2015年 1月10日(土)09時58分7秒
編集済
  昭和24年の到津炭鉱の出炭高は5181t/計画は10100t。365日稼働、3交代勤務として4.7t/dayの実績。同年の小倉炭鉱の出炭高は155889t/計画は145000t。同じく足立炭鉱の出炭高は4500t/計画は10000t。第一小倉炭鉱の出炭高は1775t/計画は2700t。昭和25年の記録では到津炭鉱と足立炭鉱の出炭記録はありません。昭和38年頃まで鉱区申請の記録があるものの出炭記録はありません。機械化された炭鉱では8~10t/一人が出炭平均と資料にありましたので、到津炭鉱は小ヤマと思われます。昭和38年~昭和43年位に再開発された辺りが炭鉱跡ではないかと推測されます。個人的な推測では〇〇遊園の北側か西側のグランドとか公共施設あたりではないかと証拠探しに歩いています。
 

河内さんの墓

 投稿者:管理人  投稿日:2014年10月21日(火)19時22分1秒
  行かれる時は、メールください。詳しい、場所の地図を送ります。  

河内一彦の墓

 投稿者:ヒコーキ野郎  投稿日:2014年10月21日(火)12時15分37秒
  探し出していただき、本当にありがとうございます。
銅像がある、、と聞いたような記憶があるのですが、シンプルな墓石ですね。
行けること願ってます。ありがとうございました。
 

到津炭鉱について

 投稿者:通りすがりの若輩  投稿日:2014年 6月26日(木)21時00分59秒
  長文、駄文で失礼します。
到津炭鉱について私も以前から調べていましたが詳しい資料が見つかりませんね。唯一「鉱業関係データサイト」というサイトである程度ながらデータがありました。鉱業権の設定や鉱区面積、鉱主人名などが載っています。
ただ個人情報も載っていますので、ここでは言及はしませんので各自で確認されると有難いです。
URLも張っておきますので、サイト内の検索から「到津」を入れるとデータが出てきます。

また何か情報がありましたら報告します。

http://www.yamane-data.jp/tops

 

河内一彦さんの墓

 投稿者:管理人  投稿日:2014年 5月24日(土)20時57分17秒
  5月24日、山城探訪の折谷筋に下山したところ、河内一彦さんの墓を発見する。4月26日高畑城探訪の折、河内一彦さんの生家と墓を地元の方に聞いたところ、生家の場所は教えていただきましたが、墓は不明でした。墓は、1963年当時の朝日新聞村山社長他有志によって建て替えられているようです。  

到津炭鉱

 投稿者:修行中の猫  投稿日:2014年 2月11日(火)22時19分59秒
  小倉北区の到津周辺は、その昔、炭鉱(到津炭鉱)があったそうですが、
『どのくらいの規模だったのか?』『いつ閉山したのか?』等、資料や
情報が全く残っておりません。

もし、到津炭鉱の歴史や炭鉱規模等の情報をお持ちの方は
御教授ください。
 

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